フランスの人気観光地として知られるのが海上のピラミッドとも呼ばれるモン・サン・ミッシェルです。
パリから約3時間の距離にあり、フランスを訪れたなら必ず見に行きたい観光地の一つです。
今回はそんなモン・サン・ミッシェルの歴史についてご紹介します。
モン・サン・ミッシェルがあるのはどんな場所?
モン・サン・ミッシェルがあるのはフランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小さな島です。
もともと満潮時には島全体が海水で包まれてしまい、島へ渡ることができないような場所でしたが
1870年頃にフランス本土と島を繋ぐ道が作られています。
大天使ミカエルのお告げで作られた
モン・サン・ミッシェルが建てられたのは大天使ミカエルのお告げがあったためと言われています。
今から約1300年前の8世紀始め頃、時はメロヴィング朝のフランク王国時代までさかのぼります。
当時、モン・サン・ミッシェルの近くにある町で司教をしていたオベールという人物の夢に
大天使ミカエルが現れ、「あの岩山に聖堂を建てよ」と命じたのです。
勿論司教もすぐにその夢を信じたわけではありません。
最初は「単なる夢だろう」「悪魔のイタズラ?」と信じることなく、建設を本気で考えることはありませんでした。
しかし、大天使ミカエルは司教の夢に度々現れ、最後にはオベールも夢のお告げが真実であると確信しました。
このため岩山に建つこの修道院の頂点には黄金のミカエル像が立っており
協会内部には大天使ミカエルとオベール司教のレリーフが飾られています。
ちなみに「モン・サン・ミッシェル」とは「聖ミカエルの山」という意味になります。
実は由来そのままの名称が付けられているのですね。
当時の形そのままではない
モン・サン・ミッシェルは「ピラミッド」と呼ばれることもあるように、遠目から見ると正三角形のような
シルエットをしていることで知られています。
しかし、当時からこの形をしていたわけではありません。
8世紀頃、フランク王国はカール大帝によって最盛期を迎え
その後は長く内紛が続き、国は3つに分割され、国家は弱体化してしまいます。
するとノルマン民族などの驚異にさらされるようになり、モン・サン・ミッシェルも頻繁に略奪に合います。
その後、ノルマン民族はセーヌ川沿いにクラスようになり、カトリックへ回収したことで
ノルマンディー公によってモン・サン・ミッシェルが修道院として設置されるようになります。
もともとは小さな礼拝堂だったのがノルマンディー公によって10世紀頃に修道院になったのです。
その後も建造、崩壊、修復を繰り返し、聖堂と修道院が上へ上へと増築されていきます。
1203年にはフランス軍の襲撃を受け、大きな火災が置き、僧院も一部が消失します。
しかし熱心な巡礼者が多く訪れたことで徐々に建物も修復され
今のゴシック様式の形に近くなったのは13世紀頃です。
監獄だった時代もある
見るものを圧倒する「西洋の驚異」とさえ呼ばれるモン・サン・ミッシェルですが
ただ美しく荘厳な歴史を有するわけではありません。
17世紀~18世紀には監獄として使われていた時代もあったのです。
1337年頃に始まったイギリスとフランスの百年戦争の間、モン・サン・ミッシェルを訪れる巡礼者は減り
フランス革命が置きた18世紀頃には司祭や反革命の王党派がナポレオンの勅命により
一部が監獄として使用されるようになりました。
これは地理的な要素が大きく関係していると思われます。
モン・サン・ミッシェルが海に囲まれているため、囚人が逃げ出しにくかったからです。
このため当時は「海のバスティーユ」と呼ばれたこともあったそうです。