南米ペルーの標高2430mにあるのがインカ文明の遺跡「マチュピチュ」です。
高所にある山奥ですが、訪れる人が絶えない人気の観光地となっています。
そんなマチュピチュ遺跡は数多くのナゾに包まれているのです。
発見されたのはいつ?
マチュピチュが発見されたのは今から約100年前、1911年のことです。
発見した人物はアメリカ人の歴史研究家であるハイラム・ビンガムです。
彼は1900年初頭に失われたインカの都市(ビルカバンバ)を探すためのプロジェクトを開始しました。
そして断崖絶壁の危険な急斜面を歩き、先住民がマチュピチュ(年老いた峰)と呼ぶ尾根を登りました。
ビルカバンバは1533年にスペイン人へ反乱するためにインカの皇族が築いた都市です。
この都市を探して多くの人が冒険に出ましたが、ことごとく厳しい山々に阻まれて達成することができませんでした。
ビンガムがマチュピチュ遺跡を発見できたのはまさに奇跡のようなことでした。
のちのち分かったことですが、この発見された都市はビルカバンバではなく
15世紀中頃に作られた古代都市だと分かり世界遺産への登録となりました。
高い建築技術で作られている
発見された当初話題になったのが、こんな高所にどうやってマチュピチュを建造したのかという点です。
現在は付近に転がっている大きな石を切り出して作ったことが判明していますが
それでもなぜこんな場所に敢えて都市を建造する必要があったのかなどナゾが残されています。
マチュピチュは非常に高い建築技術で作られています。
ペルーは日本と同じように非常に地震が多い地域です。
しかしマチュピチュ遺跡は免震とも言える建築様式で作られており
地震が起きたときには揺れに抵抗せず一緒に動き、元の位置に戻るのです。
更に遺跡の下には水はけをよくするために砕いた石が埋められ
そこに切り出された石材によって土台を作るというかなり高度な建築技術が用いられています。
なぜこんな場所につくられたのか?
現在、最も有力な説は宗教的な用途として使われていたというものです。
以前はスペインから逃れるために作られたインカ帝国の本拠地という説が有力でしたが
数多くの神殿などが見つかったことから、宗教的な用途、巡礼目的などで使われたと考えられています。
どうして人がいなくなってしまったのか?
スペイン人はインカ帝国を支配するとき、たくさんの都市を破壊しました。
しかしマチュピチュは発見されなかったのか無傷で残っています。
たった100年間、ここで人は暮らし、そして消えるようにいなくなってしまったのです。
どうして人がいなくなってしまったのか?
これには諸説ありますが、これと言った有力なものはありません。
一体どうして、そしてどこへ行ってしまったのか?
残されたナゾが人々を魅了しているのです。
日本と深い関係が!?
マチュピチュの山麓には村があります。
実はこの村を作ったのは野内与吉という日本人なのです。
この村は日本の温泉街をイメージして作られたもので、どことなく日本を思わせる風貌です。
マチュピチュの村を訪れた人は、古き良き日本の温泉街のような風景に
どことなく懐かしさを感じることも多いそうですよ。