日本の空港は、滑走路は国や地方自治体が所有と管理を行い
ターミナルは国や地方自治体と民間企業が出資した第三セクターが所有と管理をしていました。
つまり、滑走路とターミナルの経営母体がバラバラという形で運営されていました。
成田空港や関西国際空港、中部空港といった比較的新しく開港された空港では
各航空会社が滑走路とターミナルとまとめて所有・運営していましたが
会社の株主比率を見るとほとんどが国もしくは地方自治体となっており空港は実質的に
国の持ち物であることがわかります。
これは日本だけではなく、世界的に見ても同様なことが多いです。
空港はその国の玄関口ですから、ほとんどの空港は国や地方自治体が管理するのが一般的でした。
空港の経営が民間企業である空港オペレーターに移ったきっかけはイギリスのヒースロー空港からです。
1980年代にイギリスのヒースロー空港の株が民間企業に売却され
新たな経営手法で空港が運営されたことによって空港は大きく活性化しました。
これに続けと、世界の空港でどんどん民営化が進むことになったのです。
日本でもこの動きを受けて、バラバラに管が空港を経営するよりも、民営化すべきなのでは?
という考えが少しずつ出てくるようになりました。
日本の場合、元々滑走路とターミナルの経営母体が異なるため
それぞれの経営方法もバラバラで効率的な経営ができないという大きな悩みがありました。
経営がバラバラということは、滑走路の着陸料などを値下げしてエアラインを誘致し
その分をターミナルの売上で補填するとということができないということです。
成田空港、関西空港など一体化して経営している空港でも国の管理下つまり税金で運営されている空港なので
経営を活性化するためとはいえど、大胆な値下げや経営方針の転換というのは難しく
最先端を走り自由な発想で経営される民間企業に遅れを取ってしまいます。
こうして日本の空港経営が世界に出遅れている中、周辺のアジア諸国ではどんどん空港設備が充実し
民間企業の運営により着陸料の金額にも大きな差がついてきました。
例えば日本にワイドボディの飛行機が着陸しようとすると1台あたり70万円ほどかかっていたのが
お隣韓国の仁川空港ではその1/3程度の金額で着陸できてしまうのです。
航空会社もどこへ路線を増やそうかと言った時に、着陸料がネックになり日本へ就航に難を示すようになりました。
日本も同様のレベルまで利用料を下げることができれば、新たな航空会社の路線が開設しやすくなると
業界内でもどんどん民営化を後押しする動きが増えました。
とは言え、世界中すべての国で空港の民営化が進んでいるわけではありません。
例えばアメリカでは空港はいざ戦争となったときに戦闘機が発着する重要なインフラであることから
国の管理下に置くべきという考え方が主流です。
このため何度か民営化の話が出ても立ち消えてしまっています。
日本の場合もこのアメリカの考えに影響を受けており、イギリス方式とアメリカ方式の折衷案のようになっています。
国が所有したまま運営実態は民間企業に売却するユニークな形なのはこのためなのです。