羽田空港、正式名称を「東京国際空港」は東京都大田区という都心部にあり
1955年から運用される歴史ある空港です。
羽田空港の特徴は都内各所からの近さにあります。
京急線を使えば品川駅から羽田空港国際線ターミナル駅まで快速で約15分。
東京モノレールでは浜松町駅から羽田空港第一ビル駅まで約17分という近さです。
非常に利便性が高く、日本全国を結ぶ路線が充実していることから
日本で最も利用者が多い空港であり、日本の成長と発展を支えてきた歴史の要所でもあります。
この利便性の良い場所に作られた羽田空港ですが、完成までの道のりは簡単なものではなかったそうです。
軟弱な「おしるこ地盤」との戦いがあったからです。
今でこそ4本もある羽田空港の滑走路ですが、その前身は1931年に全長300m、幅15mと
こじんまりした滑走路一本の東京飛行場でした。
この東京飛行場は国営民間航空専用空港で、1978年に新東京国際(現・成田空港)が
開港するまで、首都圏唯一の空港でした。
東京オリンピックが開催れた年、海外旅行が自由化され、日本人は自由に海外旅行を楽しめるようになりました。
同時に航空旅客数が激増し、羽田空港のキャパシティは限界になっていきます。
1960年代後半には、羽田空港の上空で旅客機が旋回を続け、着陸待ちをするほどでした。
この頃3本に増えていた滑走路ですが、こうした背景から1本が駐機場となっていたほどです。
そこでスタートしたのが「東京国際空港沖合展開事業」です。
空港近くの沖合を埋め立て、土地を作り、空港を更に広げるという計画です。
しかし、困ったことに埋め立てされたのは元々東京都の産業物処理場でした。
このため、水底の土砂、ヘドロ、建築残土などが大量に投入されており、水を多く含む土地でした。
こうした状況から関係者には「おしるこ」と形容されるほど超軟弱な土壌だったのです。
そこで駆使されたのが、水分を抜く「サンドドレーン工法」や圧密を促進する「プレロード工法」と言った
最新の技術の数々です。
なんと、土壌を盤石なものにするために、地球2周分にもなる「バーチカルドレーン」も打ち込まれました。
これは排水のための管で、総延長は約8kmにもなります。
もちろん、これは簡単な工事ではありません。
長い時間と多くの人々が携わり、空港が完成したのは工事が始まってからおよそ12年後でした。
そのころには更に空港の利用者は増え、羽田空港の需要が高まっており
工事の完成と同時に再拡張事業として4本目の滑走路が増築されることとなります。
4本目の滑走路が必要、とは言えこれ以上、内陸側に滑走路を作ることはできません。
そこには騒音問題という避けられない問題があるからです。
そこで4本目の滑走路は新しく完成した滑走路に連絡誘導部を作り更に沖合に埋め立ててつくることになりました。
この場所は多摩川の河口にあり、大雨で川が増水してしまうと、上流部で氾濫が起きてしまう可能性があり
多摩川河口にかかる部分に影響がでないよう、今までに前例のない「桟橋工法」を併用することになります。
この工法は海中に多数の鉄鋼杭を打ち込み、その上に構造物をかぶせていく工法ですが
東京湾の改定は軟弱基盤なため、支持部に到達させるために最長100mもの杭が打ち込まれました。
これだけ長い杭を打つためには1cmの誤差も許されず、まるで精密機械を作るかのごとく
研ぎ澄まされた精神で行われる、慎重な作業が必要だったのです。